従者な庭師はその出会いに何を思うか『従者な庭師はその出会いに何を思うか』桜はとうに枯れ、春も過ぎて初夏の顕界。白玉楼のお庭にも睡蓮が咲くころだ。 わたし冥界のお屋敷で庭師を勤める半霊半人の魂魄妖夢は、ただ今幽々子様のお使いで人里まで来たところ。 そのお使いというのは、何かお茶請けを買ってくるようにとのことである。 人里に着いて何かいい店はないかと探してみたところ、新しい看板を掲げたお菓子屋を見つけた。 なので、さっそく入ってみることに。 店の中は広いとは言えず、住み着いた家を改造して店を構えたという感じ。 成年の男女が汗をかきながら、菓子作りに勤しんでいた。 店の内装はずいぶんと素朴だな、と思っていたら男性の方から声をかけられる。 「やあ、いらっしゃ──い」 わたしを見た男性は、表情が固まった。女性の方も同様である。 腰の刀に驚いたのか、隣の半霊が気になるのか。自分の半霊がこの二人に見えるかどうかは知らないが。 霊感というものがないと、普通の人に霊は見えないと聞くから。 しかし男の人は間を置いて落ち着くと笑顔になり、ご注文は何でしょう、と聞きなおした。 女性の方も笑顔を振りまき、仕事を再開してる。 お品書きを見れば、一つの名前しか書いていない。 一種類しか売っていないのに、わざわざ訊くのもおかしい気がするが。だが折角なので、試しに買っていこうと思う。 「これを四つほど包んでくださいな」 「あい、すぐに」 男の人がお菓子を包んでいる間、女性の方から声をかけられた。 「お嬢ちゃん、一人でお使いなんて偉いねぇ」 「いえいえ。いつものことですから」 「家にも嬢ちゃんぐらいの女の子がいるんだけど、やんちゃでねえ。すぐ飛び出して近所の子と遊びにでかけるのよ」 「遊びに、ですか」 「ええ、そうよ。……噂をすれば、ほら」 女の人がそういうと、次の瞬間勢いよく戸が開け放たれた。そこにいるのは、わたしと同い年ぐらいの泥んこ化粧をした少女。 「ただいまー! あれ、お客さん?」 開口一番、大きな声であいさつ。耳が痛いほどの大声だった。 「ほらほら、顔を拭きなさい。そんなのじゃ、みっともないでしょう」 「すごいすごーい! 刀差してお侍さんみたいー!」 母親が手拭で少女の顔をごしごしと拭く。 が、嫌がる少女は母の手を掻い潜り、こっちへ寄ってきた。 幼く見えるわたしが、刀を携えているというのは確かに珍しいかもしれない。 だが怖いものを見るような視線を送ってくるわけでもなく、興味津々でわたしに近づいてくる少女自身の方が珍しく感じた。 「ねぇねぇ、君なんて名前? あたしはチコよ!」 「よ……妖夢……」 「妖夢ちゃんはなんで刀持ってるの? カッコいいね。触らせてよー」 それは駄目、と言おうとした瞬間に少女へ拳骨が振ってきた。 「お客さんの前で、何てみっともない……!」 どうやら母親のお叱りのようである。 少女は今にも泣きそうであった。母親の手も少し痛そうだ。拳を摩っている。 母親はお騒がせしてごめんねえ、と言って震える少女を連れて奥へ。 「家の子が迷惑かけてすまないね」 父親がそう言って、包まれたお菓子を渡してくれた。 「い、いえ……そんなこと、ないですから」 代金を支払い、店を出た。戸の奥からは走り回る音がする。きっと、さきほどの少女が暴れているのだろうか。 白玉楼に帰ろうと思ったとき、後ろから大声がした。振り向けば、少女が窓から顔を乗り出して手を振っていた。 「妖夢ちゃん、また来てね!」 手を振って、その場を後にした。 ※ ※ ※ 白玉楼に戻り、幽々子様にお菓子を渡すと休憩にしましょうと提案された。 早速お茶をお入れし、一緒に頂くことにした。 「あら、なかなか素朴な味ねえ。悪くないわ」 「わたしもそう思います」 幽々子様も納得のお味。わたしも満足している。 「また明日買ってきなさい妖夢。今度は十個よ」 「かしこまりました」 そう頷いて二個目を取ろうとしたときには、すでにお菓子がないわけでした。 ※ ※ ※ 翌日。幽々子様の申しつけ通り例のお菓子屋へ向かった。 狭い店内をご主人がお店を営んでいた。昨日とは違って、暇そうである。 奥様はいないし、ご主人が椅子で寝ていたから。案外、このお店は流行っていないのだろうか。 目を覚ませた少女の父親がわたしに気付いた。 「あ、いらっしゃい。昨日の嬢ちゃんかい?」 「ええ。お嬢様が大変お気に召されたようなので、また買いに来ました」 「お嬢様? 嬢ちゃんはお偉い様のお使いか、何かかい?」 「そんなところです。今日は十個ほどください」 「小さいのに大したもんだねえ。どれ、すぐに包むよ」 そう頼み、待っていると店の奥からわたしを呼ぶ声が。昨日の少女だった。 「あー、妖夢ちゃんだ」 わたしに近づき、光物を見るような輝く目。わたしのどこに、この少女の興味を引く要素があるというのだろうか。 「こんにちは、妖夢ちゃん」 「こ、こんにちはチコちゃん……」 正直、こんなに懐かれると驚かされるのだが……。 無邪気そのものの少女が、嫌いというわけではないが。 「はい、嬢ちゃん。お会計は……」 お金を支払い、清算を済ませた。後はお屋敷へ戻るだけである。 だが隣から来る視線を受けて、わたしは動けずにいた。 「ねぇ、妖夢ちゃん」 「何?」 「遊ぼ!」 「え?」 少女の申し出に驚く。想像もしていないことを言われて。 「こらこら、嬢ちゃんはお使いの途中なんだぞ。そんなことは駄目だ」 ご主人の助け舟。しかし少女の視線がそれを嬢らない。 「……少しぐらいなら、いいわよ」 本当に少しなら幽々子様も許していただけるかもしれない。そう思って少女の申し出を承諾した。 「やったー! お外行こ、お外!」 顔を綻ばせた少女は飛び出すように店を出て行った。 「悪いねえ、嬢ちゃん」 「いえいえ。それでは、失礼します」 「ありがとう。また来てくれや」 店を出ると、少女が足踏みしていて、今にも走り出しそうだった。 「とりあえず、向こうの草原までかけっこ!」 そう言うなり、鉄砲玉のように走って行く。わたしもすぐに追いかけた。 笑い声を上げながら、突っ走る少女。何が楽しいのだろうか。 それにしても、少女の足は速い。鍛えているわたしには遅く見えるけど、子供にしては速いと思った。 人家が並ぶ通りを抜け、たどり着いたそこは少女の言ったとおり原っぱ。周りに人の気配さえない静けさ。 耳に聞こえるのはせいぜい風の音と、草が掠れる音。 「うーん、気持ちいい!」 「走ったのが?」 「それもあるけど、ここが」 この草原には小さい花や草むらがちらほら見える程度で、何も無い開けた場所になっていた。 周りは茂った森になっており、遠くに見えるのは、妖怪が巣窟とする山。 「お家帰ると狭くていやなんだもん。走り回ろうと思えば、家の中ぐるぐる回るしかないし」 「確かに家は狭そうだけど、何も走り回らなくてもいいじゃない」 「妖夢ちゃんは走り回ったりしないの?」 「好きで走ったりはしないわ」 よっぽどこの少女は動き回ることが楽しいのだろう。 「ふーん。ところでさ、妖夢ちゃんはどうしてそれ持ってるの?」 言って、わたしの腰に差した二本の刀を指差す。やっぱり、気になるのだろう。 本当のことを教えていいのだろうかと悩む。 教えたところで、きっと詳しい事情はわからないだろう。そう思った。 でも幽々子様の名前だけは伏せておこう。少女のご両親がどう思うかわからないから。 「これは……お師匠様にいただいたものよ」 「それって先生ってこと?」 「そう。お嬢様を、お守りするために」 「お嬢様?」 「そう。お美しく、聡明で、博愛に溢れた、由緒あるお家柄のお嬢様よ」 「へー、良くわからないけどすごいなー! きっとすごく広いお屋敷に住んでるだろうなー!」 あまりに大きな反応に驚く。やっぱり、普通の人からすれば夢のような場所なのだろう。 「じゃあ妖夢ちゃんは、そのお嬢様のお使いさん?」 「そうよ」 「お嬢様にならなってみたいなー。お化粧して、毎日遊ぶの!」 やっぱり女の子なら、そういうことを夢見るものなのだろうか。 贅沢を言えばそのお嬢様の下で働くわたしのことも、少しは気に留めて欲しいものだ。 「でさ、妖夢ちゃんはやっぱりお屋敷に住んでるんだよね? どこにあるの?」 「それは……すごく遠いところよ。空の向こうの、さらに向こうにあるのよ」 うっかり本当のことを言うところだった。さすがに冥界にあると言えば、良いように思われなさそうだからだ。 なので、適当にはぐらかした。 「えー、それ本当?」 「本当よ。あんまり遠いから、空を飛んでいかないと辿りつけないわ」 「お空も飛べるんだー! 妖夢ちゃんかっこいいー!」 足に力を入れ、少し浮いてみせる。あ、と声を上げると少女は目を輝かせて大喜びした。 「すごいすごいー! 本当に飛んでるー! あたし皆に妖夢ちゃんのこと、自慢しちゃう!」 「……わたしのことを話しても、きっと皆信じないわよ」 「じゃあ、あたしと妖夢ちゃんだけの秘密!」 「そうね。それは、いいわね」 そろそろ戻らなくては。さすがにお嬢様も喉を渇かせてお待ちであろう。 「悪いけど、そろそろ戻らないといけないわ」 「……そっか、お嬢様が待ってるもんね」 「そうよ」 「また遊びに来てね」 「お嬢様が、このお菓子をすごく評価なさったわ。きっと明日も買いに来る」 「じゃあまたね、妖夢ちゃん」 「またね。あんまり家の人を心配させちゃだめよ」 手を振って、大空へ。地面でめいっぱい手を振るチコが見えた。手を振り返し、白玉楼を目指した。お嬢様に何も言われなければいいのだが。 ※ ※ ※ 現実はそう甘いものではなかった。帰るのが遅かったわたしに、幽々子様は少々ご乱心のようである。 「随分遅いじゃない? 何があったの」 「申し訳ありません……」 「謝るだけじゃなく、訳も話しなさい」 「その、お菓子屋の娘と戯れてまして……」 「ふーん、なるほどね」 「本当に、申し訳ありませんでした……」 「すぐにお茶を入れなさい。何をしていたのか話せば、それで許してあげる」 「かしこまりました。すぐに」 お茶をお入れし、お菓子でお腹を膨らませた幽々子様にお菓子屋の少女のことを話した。 西行寺家の名前は伏せて、名家に仕えていること。 白玉楼の名前を隠して広いお屋敷に下宿していること。 この刀をお師匠様から嬢り受けたこと。 幽々子様を守っていうるということ。 これらの話をして、少女が大変驚いたこと。 目の前で空を飛んでみせたら、少女がはしゃぎ回ったということ。 意外にも少女の純粋な反応に幽々子様が楽しんでいられたのか、幽々子様は時折微笑まれた。 「妖夢。これからもお菓子を買ってきなさい。少しぐらいなら御菓子屋の少女と遊ぶことを許すから、戻ったら話を聞かせなさい」 「はい、幽々子様。仰せのままに」 お許しが出た。あの少女に言われるがまま、振り回されることに。 ※ ※ ※ 次の日も例のお菓子屋へ。お菓子屋の主人に代金を支払えば、走りだす少女についていく。そして少女お気に入りの草原へ。 「ねぇ妖夢ちゃん。昨日はお屋敷のことでびっくりして訊けなかったんだけど……」 「何?」 「その刀、使ったことあるの?」 着くなり、唐突にそんなことを訊かれた。 「あるわ……」 それはもう何度も。人を斬れば、人にあらぬ者まで。幽々子様のために。 さすがに、こんなことを彼女に言うことはできないが。 「人、斬ったことあるの?」 「ううん……これは、お嬢様を狙う悪い妖怪を懲らしめるためよ」 「ふうん。やっぱり、相手にやられると痛いよね?」 「ええ。そりゃあもう」 「なのに、どうして続けるの? 痛かったら、そんな仕事やめて家にでもきなよ」 「……わたしはね、人に言われてお嬢様をお守りしてるわけじゃないの」 「それって、どういうこと?」 「そうね。毎日、ずっと遊び続けて暮らすなんてどう?」 「それ、最高!」 「それと一緒よ。わたしも好きでお嬢様をお守りしてるの」 「ううん……。じゃあ、がんばるしかないんだね」 「そうよ」 少し思った。チコは半霊のわたしがわからないのだろうか。 試しに、幻の自分をチコの側へ寄らせてみた。が、少女は気付く素振りすら見せない。 どうやら少女にも見えないようである。 昨日は思いつかなかったが、もし半霊の自分に気付かれたら大変なことになりかねない。 世間で幽霊は不吉なものだと、忌み嫌われる始末だから。 「ねえ妖夢ちゃん」 「うん?」 「これって、妖夢ちゃんの?」 半霊を指差して、尋ねられた。まさか気付かれていた?見えている? 「あ、いや……」 「べ、別に変な風に思ったわけじゃなくて……初めて会ったときから傍にいてたから、何なのかなあって思ってただけ」 「……見えるのね?」 「うん」 「見えるのなら、仕方が無いわ。本当のことを話せば、もう半霊のわたしよ」 「その……幽霊のも、妖夢ちゃん?」 「そう。わたしの家系は皆、半分幽霊の自分も一緒に生まれるの」 「色々と大変そうだね」 「そうでもないわ。でも誰かに話しちゃあ駄目よ?」 「わかってる。あたしと妖夢ちゃんだけの秘密」 「じゃあ、今日は遅いしもう帰るわ」 「また明日ね。ばいばい」 昨日のように、チコの目の前で飛んで見せる。声を上げて喜ぶ少女。 手を振り、その場を後にした。 ※ ※ ※ 白玉楼へ戻れば、お茶をお入れし、幽々子様に少女と話したことをお聞かせした。 この刀で幽々子様を狙う悪い者を斬ったということ。 幽々子様のためを思う一念でこの仕事をしていること。 ただ、半霊の自分に気付かれたことだけは、お話しなかった。これは少女との秘密にしたかったから。 ※ ※ ※ この日も買い物を済ませば、走りだすチコについて行った。 今日の少女もどこか嬉しそうで、元気一杯である。 「ねぇ、妖夢ちゃん。さすがにあたしをお屋敷まで連れてって、っていうのはできないのかなあ」 「いや、それは……」 いきなりそんなことを提案されても困る。 連れて行けなくは無いが、場所は冥界。 普通の人間では、たちまち幽霊に祟られて死に至るのが落ちである。 幽々子様をこの少女に会わせてみたいと思うが、幽々子様の能力に触れたりでもしたらやはり大変である。 「なんとなく思ったことだから、別にいいんだよ。迷惑だし」 「あ……ごめんなさいね」 「いいの、いいの。あたしの勝手だから、妖夢ちゃんは悪くない」 幽霊の自分を連れているのだから、もしかしたら冥界に住んでいることぐらい想像されていたりするのかもしれない。 そうだとしても連れて行けないことに代わりはなかった。 その反発なのか、少女はとんでもないことを頼んでくる。 「妖夢ちゃん、あたしをお嬢様にして!」 「それって、どういう……?」 「今だけでいいからさ、あたしにもお嬢様の気分を味合わせて欲しいの!」 「うーんと……お、お嬢様。今日もお美しくございますね」 「う、うん。そうそう、そんな感じ」 「お嬢様、そんなに足を汚してはいけません。拭きますから、足をお出しください」 「ぶー、お母さんみたいなこというんだ、妖夢ちゃん」 「本物のお嬢様なら、ちゃんなんてつけないわよ」 「ふーん。じ、じゃあ妖夢、疲れたからあたしをおんぶしなさい」 「はい、かしこまりましたよ。お嬢様」 チコを背負い、ゆっくりと周りを散歩してみた。 背中で元気に暴れるチコをしっかりと抱き、歩く。 何とでもない小さなことに反応しあった。 稲子がいたとか、蝶々が飛んできて驚いたり、小さな花のつぼみが開いているのを見つけたり。 お互い、身の回りのことについても少し喋った。 チコの父は畑仕事をしながら、今の仕事を始めたとか。 チコの母は腰を痛めたため、畑仕事を休んで店番をしているとか。 チコ自身が近所の子供と山へ行ったとき、帰り道に酷く迷い、帰るのが遅くなって叱られたことがあるということ。 チコは将来、綺麗になって近所の子を見返してやりたいと思っていること。 わたしも、少しチコに愚痴を聞いてもらった。 幽々子様が旅先に出れば、何かと拾い食いしようとすること。 幽々子様が落ち着きすぎていて、自分の調子で物事を計りすぎていらっしゃること。 幽々子様の名前は伏せたが、少女は笑って反応した。 他にも、好きな食べ物について話したり、歌を歌ってみたりしてチコと曖昧な主従関係ごっこの時間を過ごした。 「ねぇ妖夢ちゃん」 「何?」 「里の皆が妖夢ちゃんは地獄の使いだなんて言う人がいるけど、そんなことないよね?」 「酷い言い様だわ」 地獄ではなく冥界の使いであれば、正しいと言えるが。 しかし使いと言ってもそのままの意味であって、決して好き勝手に人の命を奪いに来るなどということはしていない。 世間でわたしがどう思われているか、よくはわからないが。 「お父さんやお母さんはそんなことない、て笑ってた」 「そう、ありがとう」 そう聞いて、お菓子屋一家に受け入れられているのだなと思った。 自然と、自分の頬が持ち上がった。わたしも、笑っていた。 しかしチコのご両親が西行寺の名を聞いて、どう反応するのだろうか。 もしも名前を知っていたら、やはり不吉だ災厄だと嫌うのだろうか。 西行寺家は、名家であったが世間に好かれてはいなかったのだから。 「もう暗くなってきたから、そろそろ帰らなくちゃ」 「はいはいお嬢様……う、気付かない間にもうこんな時間」 すでに顕界の日が沈んでいた。さすがに遅すぎる。幽々子様もきっとご立腹であろう。 チコを背から下ろした。喋り疲れたのか、いつものと違って暴れまわったりはしなかった。 その時である。 森のほうから、小さな妖気を感じたのだ。 妖怪の気配がする。それも近い。 強くはないが、弱くも無い。 物の怪の類がいる証拠。 山から下りてきたのだろうか。 見つめてると、いつしか気配は消えていた。 もし妖怪だとしたら、そのうち人里に下りたりしないだろうか。 「妖夢ちゃん?」 「……あ、ごめん。少しぼーっとしちゃってて。それじゃあ、また」 「うん、またね」 ※ ※ ※ 寛大なる心の持ち主である幽々子様も、やっぱりご立腹であったわけで。 おまけに庭仕事も殆ど片付いていなかったため、最低限の庭整理だけして続きは明日することに。 夕餉を頂く時間に少女と交わした話や、主従ごっこの話をした。 少女が主なのに、わたしをちゃん付けで呼んでしまうこと。 どこにでもいるような人間の少女。 そんな彼女の話に、一喜一憂する幽々子様。 寝る前にお茶をご一緒させていただき、お菓子を頂いた。 とても菓子作りを始めたてのものとは思えない美味しさ。 相変わらずわたしが食べることができたのは、幽々子様と比べて少ないのだが。 ※ ※ ※ 昨日殆ど庭整理が出来てなかったために、お菓子屋へ行くのが遅くなってしまった。 太陽も沈みかけ、一番星が見え始めるほどの時間。 お菓子屋も看板を仕舞っていた。 残り物だけでもないだろうかと思うも、残り物をお嬢様へお持ちするのもいいのかと悩む。 何はともあれ、折角来たのだからと思って戸を開けた。 店の中に人はいなかった。 おかしい。少女の母はいつもいるはずである、と昨日聞いたのに。 声をかけてみた。が、やはり誰もいない。 出かけているにしても、鍵をかけないなんて無用心な。 そう思っていると、奥で物音がした。出てきたのは、神妙な表情をした少女の母親。 「いつもの嬢ちゃんかい? 実は……うちの娘が昼に飛び出した切りまだ帰ってこないのさ」 「……え?」 「お腹を空かせて帰ってきてもいい時間なのに、おかしいものだから主人が探しに行ったんだけど……」 「そう、なんですか」 昨日の妖怪の気配が頭を掠めた。 いや。まさか。チコに限ってそんなことはない。 だが、チコがいつもの草原で遊んでいるところに、腹を空かせた妖怪が現れたら? 「妖怪にでも襲われて無ければいいんだけど、どうしたものかしら……」 店を飛び出した。心当たりがあるのは、当然いつもの草原。 そうはあって欲しくはないが、原因があるとすればあそこしかない。 どうか、妖怪に襲われているなんてのは酷い妄想でありますように。 どうか、チコが遊びまわっていて、帰るのを渋っているだけでありますように。 着いた頃には、辺りがすっかり宵闇に包まれていた。 チコ以外には誰もいないはずであろうその空間に、わたしとチコ以外の者がいた。 その者はやはり妖怪で、月光に映えるその姿は人のものとかけ離れていた。 どちらかといえば獣に近く、その妖怪は四足歩行のようである。 その脇に、倒れて動かないチコ。いつもは泥だらけにされている服が、今や血染めに。 お菓子屋でつい数日前に見知ったばかりの、チコが転がっていた。 なぜチコが妖怪に襲われたのだろう。 どこにチコが襲われる道理があるというのだろう。 わたしがチコに近づいたのがいけなかったの? わたしの妖しき力が、妖怪を誘き出したというの? この幻想郷という弱肉強食の世界で、チコが狙われたのだろう。 いくらチコが弱い者といえど、極端すぎではないか。 妖怪がチコの体を蹴飛ばした。もう用済みなのだろうか。 用済みだなんて表現、最悪だ。思って、自己嫌悪した。 一瞬、チコの体が動いた。彼女がこちらを向く。チコは、泣いていた。 掠れた声で、わたしの名前を呼ばれた。そんな気がした。 もう虫の息ほどしかないと思えてしまうほど、チコの体は傷ついているのに。 それなのになぜ少女は嗚咽を漏らしながらも、わたしの名前を呼べるのか。 昨日の内に追い払うなりしていれば、きっとチコは傷つけられずに済んだ。 そんな考えが浮かんだ。無性に、悔しくなった。 昨日、幽々子様に叱られるのを覚悟で付近の妖怪を討ち滅ぼしておけば、こんなことにならなかった。 わたしは急ぐあまり、チコの身を案じなかった。 拳を握り締めて、チコを見つめた。 酷く苦しそうだ。すぐにでも医者に診せないと危ないだろう。 妖怪が吼える。森の野鳥達がその奮いから逃げようと、夜空へと飛んだ。 後は無我夢中だった。 抜刀し、向かってくる妖怪を斬り伏せる。 どんな風に闘っているのか、自覚はなかった。 胸の奥から生まれる激情を吐き散らしながら、ひたすらに刀を振り回した。 あの少女からすれば、わたしも妖怪じみて見えたに違いない。 視界に映るのは、体液を撒き散らす物の怪。 耳に入ってくるのは、少女の泣き声と妖怪の呻き。 気がつけば、狂気にも似た雄叫びを上げている自分。 いつしか、妖怪は倒れていた。霧散し、消滅する妖怪。 仇は討った。それだけ認識すると、刀を納めて少女に寄り添った。 「妖夢ちゃん……痛いよう……」 「チコちゃん、すぐにお家へ連れていってあげるわ。だから、喋らないで」 チコを背負い、走る。とにかく、お菓子屋を目指して。 「妖夢ちゃん……お嬢様って、呼んで。妖夢ちゃんは、あたしを守りにきてくれたんでしょう?」 「そ、そうよ。わたしは、お嬢様を守りにきたのよ」 「……もう、悪い奴もやっつけてくれたんだね?」 「悪い奴もやっつけた。次はお家に帰って、夕餉を頂くんじゃないの……」 「妖夢ちゃん……ありがと……ちょっと、疲れた……」 お願い。どうか生きて。持ちこたえて。 こんなか弱く、幼い人の命が奪われる理由なんてないはずだから。 話しかけながら、走り続ける。チコの体力が薄れていくのが、声の大きさからわかった。 少しずつ。少しずつ、わたしを呼ぶ声が小さくなっていく。 お願い。もう少しがんばって。もう少し。 店が見えてきたところで、少女に話しかけた。反応は、無かった。 「チコゃん!」 もう一度呼びかけても、返事が返ってくることは無かった。 頭の中が真っ白になった。 躓き、転んだ。夜の大地へ転がっていった少女の体。 謝りながら、もう一度背負う。返事は、なかった。 それでも、走り続ける。 お菓子屋に戻ると、チコのご両親が奥から飛び出してきた。 彼女の亡骸を寝かせると、母親の泣き叫ぶ声が狭い店内に溢れる。父親が必死に、少女の亡骸を揺する。 この光景を見ていて、心が痛かった。 わたしはそこにいることが居た堪れなくなり、お店を飛び出した。 野次馬のように集まっていた、里の人々の視線が痛かった。 わたしのせいなのかもしれないのだから。 少女の友達と思わしき数人の子供が、わたしを見つめていた。彼らの目を見ると、ますます胸が締め付けられた。 彼らから目をそらし、地を蹴り、白玉楼を目指す。大空を目指して、飛び立った。 その道中、涙が溢れて止まらなかった。 なぜならわたしは、友達を亡くしたのだから。 ※ ※ ※ 白玉楼に着いても、すぐに中へは入らなかった。 せめて落ち着いてから、幽々子様に報告したいから。 あの少女の笑顔がふと思い浮かぶ。もうそれだけで、また涙が出た。 なんとか落ち着いてきたところで、幽々子様のお部屋へ。 幽々子様は遅れて帰ってきたわたしに目くじらをたてたりはせず、いつもの落ち着いた優しい目つきだった。 お詫び申し上げると、幽々子様が口をお開きに。 「何があったか、話してごらんなさい」 「はい……その、お菓子屋の娘さんが、亡くなりました」 「……そう」 俯いて、考え事を始めなさる幽々子様。 「遅くまで一人でいたところを……あ」 訊かれもしていないのに、喋ってしまった。幽々子様が考え事をしていらっしゃるというのに。 わたしはなんて失礼なことを。 「いいわ、妖夢。続けなさい」 「はい。その、山から下りてきた妖怪に……襲われていました」 「その妖怪はどうしたの?」 「わたしが、斬りました」 言って、あの妖怪と対峙したことを思い出す。 怒りか、悲しみか、感情の混ざった声を上げて楼観剣を振り回したことを。 「……妖夢、目が赤いわ」 「え? あ……」 さっき手の甲で目をかいたものだから、目の周りが真っ赤になっているんだろう。 「泣きたいのなら泣いていいのよ、妖夢。我慢することはないわ」 幽々子様のその言葉が引き金となって、止めていた涙が再び流れ出す。 口が歪んで、喚きが漏れた。 幽々子様の手招きに甘えて、胸に飛びこんだ。 半身の自分と半霊の自分を、抱きしめていただいて。 「昨日! 昨日山から妖しい気配を感じたのです! そのとき、そのときに倒しに行っていれば……チコちゃんは!」 「妖夢。あのときこうしていれば、なんて考えるのは辞めなさい。空しいだけだから」 幽々子様の腕の中でひとしきり泣いた。 ようやく落ち着いてきたところで、幽々子様から提案を受ける。 「妖夢。時間が経ってからでいいから、お香典をお持ちして、お墓参りして差し上げなさい」 「はい、幽々子様……わかりました」 今日これだけの騒動を引き起こしたのだ。明日お菓子屋へ舞い戻ると、お菓子屋一家に混乱を引き起こしかねない。 一週間。一週間あれば、お菓子屋のご両親も落ち着いているだろうから、それから訪れよう。 そのことを幽々子様にお伝えし、庭の見回りを終わらせてから布団に入った。 ※ ※ ※ 一週間後。白玉楼を発ち、例のお菓子屋へと飛んだ。 いつも通りの、仕事熱心で元気に挨拶するご主人がいた。奥様は今出かけているのか、その場にはいなかった。 チコの父親がわたしを見ると、少しばかり暗い顔をした。 「嬢ちゃんかい……」 「今日はチコちゃんのお墓参りに来ました。どうか、お線香だけでも立てさせてください」 「嬢ちゃん」 ご主人が、もう一度わたしを呼ぶ。 「里の皆が噂してるんだ。嬢ちゃんがうちの子を手懸けたんじゃないかって。でもこれは間違ってるね?」 「はい、違います。彼女を殺めたのは……山にいた妖怪です」 「なんだって! じゃあ、うちの子は妖怪の山へ……」 「いえ、妖怪が山から下りてきたところを、襲われていたみたいで」 「そうか、そうだったのか……ちくしょう!」 ご主人が怒りを露にし、拳を壁に叩きつける。店が揺れた。 「嬢ちゃん……うちの子を、よく連れてきてくれたね。心から、感謝する」 深く、頭を下げてお礼された。 「……いえ」 でもわたしがもっと早くに来ていれば、助かっていたかもしれないのに。 と言おうとして、昨日の幽々子様の言葉を思い出した。このことは言わないことにする。 「嬢ちゃんは、その、無事だったのかい? 妖怪に襲われて……」 「わたしはその、身を守るものがありますから」 「ふむ……」 少女の父親はわたしの相槌を不審に感じたのか、どこか煮え切らない返事。 ご主人は言葉を続ける。 「うちの子は……最後に何か言ってたかい?」 「わたしに、ありがとう。と」 「そうか……」 わたしの言葉を聞いて、ご主人が笑った。 彼女の言葉に納得したのか。そんな風に思える。 「あの、あとこれを受け取ってください」 お香典袋を差し出した。ご主人は少し驚かれ、受け取るのを迷っているようだ。 「これは……嬢ちゃんからかい?」 「わたしと、お嬢様からです」 「……そうか。折角持ってきて頂いたんだし、ありがたく頂くよ」 丁寧に断りをいれてから、ご主人は受け取った。 「ところで嬢ちゃんは何者なんだい? どこの御家に仕えてるんだい?」 「そうですね。ここだけの秘密にできるならば、お話しましょう」 「それは、どういう意味だい?」 「世間一般では、不吉とされている御家ですから。ご主人が不快に感じられるかもしれません」 さすがにご主人が引いたのか、そこから何も言わなくなった。 わたしはご主人にお墓の場所を訊いた。一人でお墓参りをするつもりだから。 そういうと、ご主人は教えてくれた。 「これ、うちの子に持っていってやってくれ」 そういうと、ご主人がお菓子を包みはじめた。 そして渡されたのは、二つの包み。 「一つはうちの子に。もう一つはうちの子を連れてきてくれたお礼だ。嬢ちゃんと主様とで分けて召し上がってくれ」 「わかりました。ありがとうございます」 「それと嬢ちゃん……やっぱり教えてくれないかな、御家さんの名前。どうせご主人に会うこともないと思うしさ、やっぱり気になるんだ」 「そうですか……。わたしが仕えているのは、西行寺家にございます」 「さい、ぎょうじ?」 「そしてわたしの名は魂魄妖夢。半分幻の、庭師にございます」 「耳にしたことがある。死んだ先の世界で、死霊を操る女がいるって話で……」 ご主人がそこまで口にして、固まった。直後、後ずさり。 腰を抜かせて、随分と怖がってらっしゃる。呼吸も乱し、まるでわたしを人でなしのように見てくる。 「嬢ちゃんの名前は聞いたことがない。けど、いや、しかし、そんな! 西行寺家なんて御伽噺に違いない……!」 「信じる信じないはあなた次第です。ただ、訊きたがったのはあなたです」 「……嬢ちゃん、君は何者だ?」 「申し上げた通り、わたしの半分は幽霊にございます」 「……うちの子に、そのことを教えたのか?」 「彼女には、半霊のわたしが見えていたみたいでした」 「そ、そうか……」 やはりこの男も、幽霊を妖怪と同類だとみなし、忌み嫌うのだろうか。 いっそ、それでも構わないと思った。そのほうが、ご主人は長生きできるから。 わたしのような存在に近づかないほうが、きっと安全だから。 「では、そろそろ失礼します」 ご主人の言葉は待たずに、店を出る。 こんなに喋ってしまった。それにご主人は西行寺の氏を知っている。 幽々子様には悪いでしょうが、もう二度とここには来ないことにしよう。 しかし、ご主人がわたしを引きとめた。 「確かに嬢ちゃんは如何わしいみたいだけど、うちの子を助けようとしてくれたのは事実だ」 「……」 「どうかこれからも、うちの菓子をもらいに来てはくれないかい?」 「良いんですか?」 「確かに嬢ちゃんみたいなのは怖いし、来るのも勘弁してもらいたい。けど、嬢ちゃんは特別だ」 「……また、暇を見つけたら来ます」 「そのときは、いくらでも持っていって構わないさ」 「お嬢様は際限なく召し上がる方ですから、十個や十五個じゃ済まないかもしれないですよ」 「そ、そうかい……それじゃあ、気をつけて……」 「はい、お邪魔しました。失礼します」 一礼して、店を出た。結局、奥様に会うことはなかった。 もし奥様がお嬢様の名前を聞いていたらどうなるだろうか。 ご主人のような、寛容な心でわたしを認めるのだろうか。 それとも俗世的な観点から見て、わたしと幽々子様を嫌うのだろうか。 だめだ。もうこんな考えはよそう。 主人に言われたとおり、人里から少し離れたところにある墓地を目指した。 空はまだ明るく、一週間前のような気味悪さはない。 一時間ほど歩いたところで、墓地らしきものが見えてきた。 墓守に少女の名前を告げ、チコの墓まで案内してもらった。 まずは作法通り、拝礼。それから、主人にもらったお菓子をお供え。 いまはもう、走り回ることのない少女へ。 また、目が潤み始めてきた。 わたしは人の死をどれだけ見てきたのだろうか。 そう言えるだけ、わたしは人の死を見てきた。 白玉楼にいれば、死んだあとの人々がいるのだし。 それでもなぜ、チコの死がこんなにも重たく感じるのだろう。 たった数日間、されど数日間。わたしは彼女と友達の仲だった。 その友達の死が、これほど重いものだとは。 でも、そろそろお別れしたい。 でないと、またわたしの胸が溢れる激情に壊れそうだから。 「あなたの父が作ったお菓子は美味しかったわ。さようなら、ひとときのお嬢様」 白玉楼へ戻れば、また幽々子様に振り回される毎日。 彼女との決別が、わたしにどんな影響をもたらすのだろう。 ただ一つの、悲しい思い出になるだけなのだろうか。 それともチコの死を見て、わたしは幽々子様をお守りする者として成長でもしたのだろうか。 でも、今はただ悲しいだけ。この悲しさは、時に癒してもらおう。 どんな想いも秘めて、わたしはただ前進するしかない。 たとえまた知り合いや友達ができ、相手が死別していったとしても。 如何なる感情に侵されようが、幽々子様を守り続けることに替わりは無い。 この体が動かなくなるまで、半身が朽ち果てて半霊だけになってしても、幽々子様を守り抜いてみせる。 それがわたしの成すべきことなのだから。 --------------------------------------------- 当サークルでは気に入っていただけた作品への投票を受け付けています。 よろしかったらご協力ください。時々投票結果をチェックして悦に浸るためです。 └→投票ページはこちら(タグ系が貼り付けられないため、外部ブログになります) ジャンル別一覧
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